お茶の先生が以前、言ってくださったことがあります。
「どんどん教えなさい。教えていると、これか、と思うものが見えてきます。」
最近、京都家元の夏の短期講習会に参加した生徒さんがいらっしゃいます。
表千家では、20歳から30歳までの入門者のために、6泊7日の講習会を年に2回開催しています。
京都のお寺に宿坊させていただいて、毎日、着物を着て、家元での稽古と講義を受けられる講習で、茶道を本格的に学ぼうという決意に関係なく、日本人としても、国際人としても、教養と見識を広げる貴重な体験ですので、若い方たちには、おすすめします(表千家茶道に入門していることと、稽古場の先生の推薦が必要になりますので、ご不明点はお問い合わせください)。
さて、本題に戻ります。
その生徒さんが、家元での教えを、私にいろいろと話してくれました。その中には、私が知らなかったことや、忘れていたようなこともあります。
彼女は、家元で沢山の刺激を受けて、仲間もできて、新しく疑問も湧いてくるようで、いろんな質問をするようになりました。
私もわからないことや、考えたことのないこともあり、一緒に考えています。
生徒さんなのですが、同じ道を歩む仲間ができたようで嬉しく思います。
ビジネスの環境においても、同じではないでしょうか。
立場や経験年数や年齢によって、ある時、後進を育てる役割や、リーダーとして多くの社員たちをマネジメントし、引率していく役割が与えられます。
それは時に、大きなプレッシャーと緊張感となります。
教え育てる役割の人が、必ずしも、すべてにおいて優れているわけではないからです。
でも、誠実に、組織やその人の成長のために自分にできることを提示し続けていると、目の前の人たちは、ちゃんと自ら学んでくれ、しかもそれをまた、私たちに還元してくれるということを感じるものです。
若い人も同じことが言えます。
上司の経験と知識に敬意を払いつつ、自身の経験や知識も必要とされていると知っておくことです。
与えるものも与えられるものも循環しています。
水の流れと同じで、知恵もお金も、それが循環している場所がより清く澄んでいて豊かです。
そして、いつの世も役割の上下はあり、かつ、誰にでも与えられているのです。
【竹有上下節】(たけにじょうげのふしあり)
「松無古今色 竹有上下節」により、松は古今変わることなくみずみずしい緑を保ち、竹には上下の節があるの意味です。
世界はいつの世も、松の緑に象徴される平等であり、竹の節に象徴されるように、性別、年齢、能力など立場の上下があるという、双方とで構成されていることを表しています。